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体のあちこちがふわっとするのを少し感じました。

今度のサイキックコヒーレントとフルフィルフローの感想は、分けるよりも一緒の方が良いと思って、サイコヒのついても少し書きます。

 

外国に住んでいるので、秋分のサイキックコヒーレントは朝となり、生活の音も身近で、とにかく横になって目を閉じることに終始しました。体のあちこちがふわっとするのを少し感じました。

 

続いてフルフィルフローの満月は、こちらでは夜に当たり、窓からは薄い雲の向こうに満月が高く見えました。満月に向かって座り、感じることに集中するよう努めました。眉間のムズムズと頭部のふんわりしたものの感じがあり、目をつむったままで目を開けてるみたいな感じがしていると、「そういえば、フルフィルフローの後はいろんなことが起こる覚悟がいるんだったかな」「私は覚悟があるだろうか」とよぎった時に、「私は同じところに止まっていられなくてこれを申し込んだので、前に進むしかないのだからこれで良いのだ」と、すぐに答えが出てきたのでした。ああ、そうだった、思えば飛び込む時はいつもそういう精神がギリギリの時だった、などと感心しました。

 

そのすぐ後で見かけた半日断食の記事がヒントになり、断食とは言わないまでも、自分がどんな食事をして体を保ったら自身にとって自然で納得するか、知りました。

 

そしてフムアルフートから頂いたサイコヒのレポートで、今回は、体をテーマにしてあったとあり、こういう風に私はそれを受け取ったのだなと思いました。

 

さらに、あろうことか英語で詩のようなものを思いつき、書いていきました。もう何年も前に、私が耐えきれなくなってとうとう主人の前で泣き出して涙が止まらなくなった時に、泣く理由を主人に聞かれて答えられなかった、それがなぜ答えられなかったかが文字にして書けたのでした。

 

次の日に読んだフルフィルフローのレポートの、「本来ある受容の心が無差別に何から何まで受け入れてしまう」というのを読んで、ここに私の書いた詩モドキの、あの耐えきれなくなったのはまさにこれだと思い、さらに掘り下げ、具体的に何が自分に巣食ってたのかの尻尾をつかんだと思いました。日本に共通した、蔓延した一つの言葉でした。ここからまた何か思考が派生していくと感じます。

 

 

このように、サイコヒがあって、フローがあって、それから私がヒントをそこここに見つけているのだなと思ったので、サイコヒかフローかどちらかの感想というわけにいかないと思い至ったものです。

 

これからも研鑽します。どうもありがとうございました。

KO